06’新春特別コラム
東宝映画(1960頃)への偏執
やっぱり一度は書いておかないと腹の虫が収まらない。でも纏めて書く自信がない。長年にわたるとりとめのないリスペクト要因を、一筆啓上に纏めるのは大向こうを意識する時・妙な恥じらいがある。
昨年は新東宝・大蔵映画を題材に、というよりは酒の肴にやっつけで書かせてもらったが、元来筆者が映画に誘われる大宗家となった東宝映画、とりわけゴジラを代表格にあまた存在する東宝の特撮・怪獣映画については、一度は試みに書いておかねばならない。
筆者の中で東宝映画が、播種された映画という名の大樹の種子のごとく、最初の植え付けになったのは幼少時の「全怪獣怪人大百科」(ケイブンシャ刊)による。この写真で邦画大手各社のマイナー怪獣や東映ヒーローモノの情報を、後の再放映ラッシュ見る前から知る羽目になった筆者の人生は悲喜こもごもであるw
あまたの特撮・ロボットアニメのコマ割り解説が大部にぎっしり詰まった中、とりわけ筆者のメタファーを刺激したのは巻末に登場する東宝・松竹・大映・日活の怪獣・怪人キャラコーナーだった。
もちろん大写しは東宝のゴジラ・大映のガメラだったと思うが、他にも日活のガッパ、松竹のギララ、更には東宝のモスラ、ラドン、キングギドラといった今の子供でも知ってるメジャーレベルから、マタンゴ、液体人間、電送人間(被害甚大w)、ガス人間第1号、クモンガ、フランケンシュタイン(東宝巨大版)、地底怪獣の代名詞バラゴン、サンダ、ガイラ、マンダといった通好みの怪獣・怪人まで、そこに写された円谷製ともいえる意匠製品の数々は、完璧に6歳の筆者の脳裏を直撃した。
あの感覚は形容しがたい。現代用語ならまさに「アイコン」といった言葉がふさわしい感興。後の平成シリーズの画像。意匠は、どうしても昭和の候に作られたまがまがしさやアナクロ感が後退してるようでイライラするときさえある。リアルタイムで昭和30年代を知ってるわけではないのに、あの時代の着ぐるみや作り物の怪物にフォーカスした「写真のピントの具合」までが、妙に触感を残すのだ。
子供心のビジュアルインパクトに、取っ組み合いをするサンダとガイラ、東京タワーに糸を吹く幼虫モスラが長らく残り、80年代にアニメのブームが到来した折にさえ、中学の美術の時間・男子クラスメイトが「北斗の拳」にかなりの人数を傾斜させた中、筆者だけがひたすらゴジラやダース・ベーダー、ターミネーターを模写してたのが珍しがられてたw
各書きこみでも散発的に書いたが、映画を見る前からドリル戦艦・轟天号、パラボラレーザーの大艦巨砲・マーカライト・ファープ、先鋭デザインロケットのスピップ号などは、どうして東宝にこうまで脳内の活性化を図るようなデザイナーや演出家が集中していたのか、本当に今でも不思議である。
ゴジラがいちばん取りざたされるのは致し方ないとして、筆者はこの会社のこのジャンルから、ほとんど幼稚園の情操教育〜思春期まで、教本・教材を年齢別に変えながら、中学辺りで映画の基本構造を認識させていただいたといっても過言ではない経験を積んだ。
それは製作サイドと演出サイドの葛藤、興行根性のなんたるか、更にドラマの演出や仕掛け、東宝俳優とスタッフ、そして特撮職人のオッチャンたちが織り成す一流の戯画だったといってもいい。戯画といっても人の作ったものだ。血と汗の結晶などという言葉は、手作りレベルで物を作ってたこの時代にこそふさわしい賛辞ではないのか。
摂氏70度もある照明ライトガンガンなスタジオの中で、もはや汗も出ずに塩の塊を舐めてたオッチャンらの気塊でもあるw
ここを根城にして、その後「スター・ウォーズ:帝国の逆襲」(生後初の劇場体験洋画)、「ターミネーター」「2001年宇宙の旅」(実はコレが本格鑑賞はじめのきっかけになった)に系譜を続けていくことになる。日本も海外も映画を作るということに関しては職人仕事とワークショップという差異でくくるのがいちばん早いのだろうか。
後にそのスペックが明らかになる俳優陣、今から考えたらあの時代に志村喬や池辺良辺りの扱いの役者さんが、SFという言葉もハッキリしてなかった時代に、このジャンルに出てたというのは本当に貴重だった。そして平田昭彦や田崎潤、白川由美や星由里子、浜美枝に土屋嘉男、佐原健二、久保明、藤木悠、宝田明に夏木陽介、そして中丸忠雄といった特撮以外でもおなじみの東宝キャストは、人間の脳が生涯最も活発な活動をする中学の時のときに覚え始める。
しまいには佐田豊、沢村いき雄、エド・キーン、ハロルド・コンウェイ、ダン・ユマといった、端役や外人キャストの名前まで覚え始め、大いに筆者の受験学業習得を後退せしめる結果になった(爆)そのときに見た地獄は思い出したくないw
作品別には、いちばん好きなのが日本映画の昭和シネスコ時代(昭和32年あたりから昭和50年代製作のもの)、そこいらの作品をビデオが出初めの80年代初頭頃、レンタルビデオが2泊3日で1500円というときになけなしの小遣い握り締め、必死に吟味して借りた作品が21型の家庭用テレビに小さく写るワイド画面となった時、上下の黒エリアの微妙な揺らぎともども、余計に映画への無意識渇望を焦がされた。
そしてとうとう1983年、梅田は三番街シネマにて「怪獣大戦争」と「ゴジラ」(1954)を観たときに、その感動は怒涛の波・爆発的な性衝動の如き歓呼の様相を呈した。思えば思春期の候、よくも犯罪に走らなかったのは当時の筆者の全エナジーが東宝特撮に向けられたからに相違ない。
昔映画を、ニュープリントで、劇場の大画面で観た興奮は昨日のことのようだ。それは古いのに妙なパワーを持つ、時代を超えて「何かが残ってる」ということを筆者に強烈に再認識させた。
伊福部昭の土俗的・シンプルなサウンド設計、本多猪四郎監督の丁寧な演出、関沢新一・木村武の堅実なシナリオ、語りだせば切りがなく、どうしても取りとめがなくなって散文的になる。
メディアがVHSからDVD時代になっても、主だった作品を買いなおさずにはおかない光彩・魅力をなお放つ作品群は、これからも筆者の無意識レベルに残るだろう。
2006.1.9