チェチェンの女性ジャーナリスト、ザーラ・イマーエワは、「子供の物語にあらず」、「春になったら」に続いて第3作「お隣さん」を制作中である。5月7日には熊本で劇映画「金色の雲が宿った」と「春になったら」の上映会が開催されるが、その会の目的の一つがザーラの新しい作品制作を支援しようというものだ。昨年、ザーラは、私や熊本の姜信子さんとともにドキュメンタリー制作中にカザフスタンの旧首都アルマトゥで、チェチェン・ディアスポラの組織「ワイナハ協会」がカザフスタン諸民族会議の施設内で運営するチェチェン日曜学級を見学する機会を持った。新しい作品を生み出す子供たちの集団のつくり方の中には、その時の経験が組み込まれている。以下は最近来たザーラからの手紙である。
今晩は、一男さん! 今の仕事について書いてみようと思います。
最初、チェチェンの子供たちに自国語の映画を作ってやろうと思ったのが、始まりでした。そんな事を考えつくまで、私たちの国には、子供のためのアニメーションも映画も一つとしてなかったなどということを考えても見ませんでした。でもそれは本当のことです。もっと酷いことに、そういうものが必要なのだという自覚さえ持たず、考えもしていなかったのです。私たちは(共産)党とレーニンを称える歌、「コサックと反乱者」ごっこ、「ドイツ兵と我が兵士」ごっこで遊んで、テレビの番組に出てくる子豚の「フリューシャ(ブ−ブー)」とウサギの「ステパーシャ」に見入っていたのです。
私は一つも!チェチェン語の子供の歌を覚えていません。それらは、まるで昔から存在もしかったように忘れ去られたのです。そのことを以前の私は自覚もしていませんでした。
息子のティムールが、多分4−5歳だったか、それとも、もっと小さかったか、はっきりはしませんが、外から家に駆け戻ってくるなり聞いたのでした。「ねえ、疲れた玩具たちが眠っているよって、チェチェン語では、何というの?」これは、ロシアのテレビの子供番組で流れている歌の一節でした。私は答えました。「それは、ロシアの歌だからチェチェン語の歌詞は無いのよ。」と言うと、ティムはとても当惑していました。まだよくロシア語を覚えてはいなかったので、訳を聞いて納得したかったのです。こうして、私はティムールのために歌を考え出すことを始めました。しばらくして、ティムだけでなく、周りの子供たちも、みんなそれを歌うようになりました。
今私は、15年ぶりに、同じことをやっているのです。今、アゼルバイジャンにいるチェチェン人の子供たちが、私が作った歌を唄っていますが、他の国々に散らばった子供たちも唄うようになってくれたらと思っています。
これらの歌は全部で10曲です。オンドリの歌、子猫の歌、カササギの歌(この黒と白の翼の鳥には中傷屋というあだながあります)、小雨の短い歌、キツネの歌、オオカミの歌、クマの歌、友情についての短い歌、子守歌そして「お客様を招く」というおとぎ話の主人公6人による楽曲からなりたっています。ということで、戯曲と言うよりは、30人ほどが登場するミュージカルになりました。
おとぎ話のテキストは、民話の文体を使った詩で書かれています。私の書いたままのテキストは、歌に残っているだけで、台詞に関しては、有名な詩人でも、作詞家でもあるジャーナリストのアブドゥル−ハミド・ハトゥーエフが原形をとどめないくらいに書き直しました。歌につけた音楽は、チェチェンの基本的に舞踊のための非常にリズミカルな民族音楽のメロディーをモチーフに作られました。そのアレンジメントは、アゼルバイジャンの音楽家たちがやってくれました。
その筋は大変単純なものです。森の端の小さな小屋にネコ、ニワトリ、仔牛という、おとなしい家畜たちが暮らしています。それを知ってキツネとオオカミとクマが彼らを捕って食おうとします。
ところが、この小屋は高い石塀に囲まれているので捕まえるのは簡単ではありません。そこで彼らはだまし討ちを計画します。お祭り騒ぎを始めて家の住人たちをお客に来いよと誘います。そうやって誘い出して餌食にしようと言うのです。
しかし、招待状を持ってきた者には、次のように告げられます。「ネコは猟に行ってキツネを捕まえてきた。先ずそれを平らげてからお客に行くと言っている。」同じようなホラ話が、オオカミとクマに対しても語られます。猛獣たちはびっくりして、小屋に贈り物を届けに来ます。ネコには肉、オンドリにはトウモロコシ、トウモロコシの茎だか、麦わらが仔牛に贈られました。そしてオオカミは、干し草の中に隠れます。クマは木に登りました。一方、ネコは干し草の中で、ネズミが駆け回ってると思いこんで、オオカミの尻尾を掴まえます。オンドリは怖がって樹に飛び上がりますが、逆にその勢いに樹の上のクマは転げ落ちます。原作では、こうして猛獣たちは、この森から、逃げ出して2度と戻ってきませんでしたとなります。
私たちの作品では、主役6者だけでなく、加えてその隣人たちが登場します。森の住民たちで、事件の進行を見守り、同情したりするシカ、ヤマネコ、ウサギ、リス、小鳥たちなどです。それから狂言回しのパーソナリティーとして、カケスが登場します。カケスは何かにつけてパニックを引き起こすように騒ぎ立て、状況を明らかに猛獣たちに有利なように解説します。作品では、猛獣たちは隣人たちの前に連れてこられて、非を認めます。そうやって、最後は仲良く友情が確かめられてハッピーエンドとなっています。
こうしたおとぎ話は、昔ならおばあさんが孫たちに夜ごとに語り聞かせたものです。作品のおしまいには、子守歌が聞こえてきますが、これは、おばあさんに代わって歌われるものです。チェチェンの子供たちは、もともと老人たちとの強い結びつきの中で成長したものですが、今日では、多くの子供たちが、両親ですら満足にいなくなっていますから、子守歌のメロディーには、非常にアクチュアルに響くものがあるかと思います。
作品の長さは40分を超すことはないでしょう。残念ながら野外撮影、オープンセットの経費は捻出できず、象徴的なセットをヴァーチャルに作るに留まりました。もっと良くできたのにと悔しい部分は沢山あります。撮影班の技術水準にも問題があって、固定カメラ1台、事実上決まった1点から静的な画面として撮ったに過ぎません。ですから自分の置かれた状況で最善を尽くしたとしかいえないものです。
私の課題は、何か非凡な作品を創作することでも、主観的な観念を映像化するということでもなく、とにかく前例を創りだすということです。どうにかして、子供たちのために多くのことができるはずの我が同胞の詩人や作曲家を何とか刺激したかったのです。もし、一人ひとりが、一曲の歌、一場の戯曲、あるいは一本の映画やアネメを子供たちのために創るか、せめてやろうと思い立ってくれるなら、そこから文化再生の始まりという希望が湧いてくると思うのです。
この作業を続けるに当たって、台詞を子供たちにチェチェン語からロシア語に訳して理解させ、そこからまたチェチェン語に戻ると言うことを繰り返すのは本当に憂鬱なことでした。でも、そのおかげで、出演者の子供たちは、我が同胞の大人たちにも、かなり難しい言葉を逆に教えられるほどになりました。
この映像作品を創ろうというアイデアと制作の過程は、次第に祖国チェチニアにも、他国に散らばったチェチェン・ディアスポラの間にも類例が存在しない、ユニークな文化センターを形成する試みに発展しました。その中で、9歳と11歳の若い女優さんたちが、舞踊学校に招かれ、もうすぐバレー学級のコースを修了するまでになりました。幾人かの子供たちが音楽や声楽に、そして芸術の歴史にまじめな関心を寄せています。週に2度、職業的な先生が自発的に無料で子供たちに、真剣な演技指導をしてくれています。私自身も、児童心理学に基づいた西欧専門家の開発したアート・セラピーの方法論を学ぶことになりました。
私は、私たちのアート・センターに通っている子供たちと、そうでない子供たちを比較してみて、子供たちが闊達で、自信にあふれ、明るさがあって、目が光り輝いているように思え、その意義を重要なことだと確信しました。
子供たちは自分たちで自らのグループを「ディディ」と呼ぶようになりました。ディディとはチェチェンの児童語で、「手のひら」、「素晴らしいこと」といったニュアンスの言葉です。最近では、ディディには、アゼルバイジャン人の子供や、トルコ人の子供たちがやってくるようになり、この国(アゼルバイジャン)在住のアメリカ、ポーランド、アラブ首長国連邦、ノルウェーの父兄から子供を参加させられないかと、問い合わせを受けるまでになりました。参加している子供の中には、病気の子供や、精神的に障害を持った子供もいます。しかし、中心になっているのはチェチェン人の子供たちで、年齢的には4歳から12歳までの子供です。一人例外的に14歳の女の子が入っていますが。新しい子が、加入を希望してくれば、誰でも喜んで受け入れたいと願っています。が、「ディディ」には恒久的な場所も、財政的、技術的インフラも無いのですべての希望者を受け入れることができないでいます。
現在のグループは、私がカザフスタンから戻って間もない、昨年の8月に結成されました。それから今までに、音楽の収録が行われ、未だ編集が残されていますが、おとぎ話(スカースカ)「お隣」が撮影されました。また3つの難民学校においてコンサートを行い、国立劇場「イウグ」において、新年の夕べに出演し、ノルウェー大使館主催の催しに招かれ、ノルウェー語の歌を唄いました。子供たちは2度ほどラジオリバティーのコーカサス向け放送の番組「リバティー・ライブ」に紹介されました。
もう一つ、こんなことがあったので、一男さんには知らせておきましょう。
撮影の時カメラマンの一人がこんな事を私に聞きました。「あなたは、意識的にこういう筋書きの話を選ばれたのですか?」私は「どういう事が?」と聞き返しました。「ああ、隣人というのが、現在進行中の戦争を連想させるんですよ。」
正直言って、私はびっくりしてしまいました。というのも私には、そんな地政学的な隣国関係など念頭になかったからです。もしそんな意識で筋書きを選んでいたら、私は捕食者たちの森からの追放という原作をそのまま残したことでしょうから。でもこの作品では、とにかく友情と誠意が勝利するのです。そして私にとっては、画面を通じて家を、祖国を、近親者を失ったチェチェンの子供たちの幸せを感じ、喜ぶ顔を見ることが第一なのです。
ですから、作品の技術的水準といったものについては二の次だと哲学的に考えようと思っています。いろんな「利口者」が飛び出してきて、出来が悪いの、ものごとを知らない、力不足とか言い立てるかも知れませんが、この作品は、本当の意味でのチェチェン語で語られる最初の映画です。台詞を散文で書いたり、普通の筋書きでドラマツルギーを展開すれば話は簡単でした。でも、子供たちには辛い悲劇的な内容になってしまったことでしょう。もしかしたら、将来我々のところに加わった子供たちには、本当の職業的映画人の手になる本格的な映画作品に出演する機会を手にする者も出てくるかも知れません。
6月1日の「児童擁護デー」に向けてディディは、いろいろな言葉による歌を含めた大規模なコンサートを準備しています。既にノルウェー語、トルコ語、フランス語の歌は、もう手許にあります。是非とも日本語の歌がほしいのです。歌詞の意味とか、発音についてはエカさんに指導を頼みたいと思っています。カラオケみたいになったMP3音声ファイルは手に入りませんか?子供たちが歌を唄ってる振りをして口をパクパクさせると言うのではなく、本当に歌を唄わせたいのです。
この他、サン・テクジュペリの「星の王子様」を同時にチェチェン語、英語、アゼルバイジャン語、フランス語、トルコ語などで上演してみること、戯曲「子供と人形」、そしていつものことですが、費用の工面がついたら、様々なチェチェン子供舞踊団の記録を集めて、儀礼、遊び、歌や踊りなどを紹介するスペクタクルなビデオコンサートを企画してみたいと思っています。
話が脱線してしまいましたね、そして何だか一番大事なことを落としてしまったかしら?...
さようなら。
それから、また「紅茶」(注:ザーラ来日時、非常に彼女になついた岡田家の雄猫)の写真を送ってくれてありがとう。
ザーラより。
2005.4.22.
訳: 岡田一男