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砂糖大根

  パムッカレからセルジューク・トルコの首都コンヤにむかった。コンヤまでおよそ四三〇キロ、左右に広大な畑地が広がり、畑地を切り裂くように一直線の道路が地平線まで続いていた。
 
この辺りはトルコ有数の砂糖大根の産地でも有る。収穫時期には砂糖大根が山のように積まれ、運び出すトラックが延々と列をなすそうである。今は収穫時期も終わり所々で最後の積み出しを待つ砂糖大根の小山を見掛けた。
 
砂糖大根は甜菜(てんさい)ともビートとも呼ばれ、重さ一キロほどの円錐形の大根(蕪(かぶら)に似ている)である。
 
砂糖の抽出方法は砂糖大根を水洗いして薄くスライスし、熱湯に浸して糖分を溶け出させ、溶出液を精製、濃縮して結晶を作り出す。糖分が抜けきった残滓はビートパルプと呼ばれ乾燥させて牛の飼料にする。
 
甜菜から甘い汁が出ることは古くから知られていたがサトウキビから抽出した砂糖と同じ成分とは知らずに家畜の餌として利用されていた。
 
この甜菜から砂糖を抽出する方法を発見したのはドイツの化学者マルグラーフである。およそ二五〇年ほど前の一七四七年の事である。サトウキビから砂糖を抽出する方法は紀元前から知られていた事と比べると甜菜の利用は随分と新しい。
 
甜菜はサトウキビと違ってヨーロッパにとって都合の良い事に冷涼な気候に適しヨーロッパ各国で栽培が可能な作物であった。
 
甜菜から砂糖を抽出する方法が解るとそれまで植民地からの輸入に頼っていた砂糖が自国で生産出来ると知り、甜菜糖の工場が設立され、ヨーロッパ各地で甜菜の栽培が急速に広がった。(サトウキビの適地は熱帯から亜熱帯)
 
日本に甜菜が紹介されたのは一八七〇年(明治三年)である。明治政府が農業振興策として西洋作物の種子を輸入し試作させた作物の一つであった。
 
冷涼な気候に適している事から開拓を進めていた北海道で栽培が試みられた。一時、栽培の中断等々、苦難の時期もあったが十勝で栽培が復活し日本甜菜製糖が精製し砂糖の製造を行なっている。
 
北海道での生産量は僅かであるがトルコを含めヨーロッパで消費される砂糖はこの甜菜から抽出した砂糖である。
 
トルコ人は男性も女性も甘い物を好むのか土産物店で試食したお菓子も驚くほど甘かった。運転手もガイドのベルマさんもチャイを飲むときは大匙で何杯も砂糖を入れ、砂糖が溶け切れずにチャイグラスの底に溜まっていた。
 
トルコは食料自給率百パーセント、農産物をヨーロッパに輸出する農業国である。砂糖も自給率百パーセント、一人当たりの年間砂糖消費量は二五キロである。因みに日本の砂糖自給率は三三パーセント、一人当たり年間消費量は一九キロ。確かに日本人より甘党である。

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