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  修験道

 
 修験道の祖と仰がれる役小角は六三四年に生まれ、葛城山の山中の岩屋に棲み修行を重ねて密教の呪術の一つである「孔雀明王の呪法」を修めたと伝えられているが役小角の時代には密教は中国にも日本にもまだ伝わっていなかった。
 役小角の時代の山岳修験道には特定の教理は無く日本古来の山岳崇拝と仏教、それに帰化人が持ち込んだであろう道教の神仙思想を綯(な)い交ぜた神仏混淆(こんこう)の宗教であった。
 彼等は葛城、吉野等の霊山に籠もって修行を重ねることから山臥(やまが)、山伏と呼ばれ、修行の果てに山の神の霊力を得て験力(げんりき)を修めた者を修験者と呼んだ。
 この様に修験とは修行得験の事で修行の果てに験力を得るの意とされており、修験者は大自然の気が満ちる深山幽谷に身を置き、練行苦行を重ねて諸神諸仏と交わり、霊気を得て霊験、即ち験力を獲得する実践実習の宗教であった。験力を獲得した修験者は護摩を焚き、雨乞いや病気平癒の加持祈祷を行った。
 白山修験道を開いた泰澄(たいちょう、六八二〜七六七年)や行基(ぎょうき、六六八〜七四九年)も役小角と同様に僧として官には認められない優婆塞(うばそく、半僧半俗の行者)とも呼ばれた私度僧であった。(正式な僧とは東大寺等の戒壇院で受戒した官僧の事。行基は後に官僧となり東大寺の建立に貢献し、聖武天皇より大僧正に任じられた。)
 そして役小角と同様に泰澄も行基も山林修行によって優れた呪力・神通力を身につけ加持祈祷を行った修験者である。
 泰澄は幼少の頃、法相宗の道昭(六二九〜七〇〇年)に見出されて山林修行の道に入ったと伝えられており、行基も十五歳で出家し道昭に師事していたがやがて山林修行に入ったと伝えられている。
 二人が師事した道昭は六五三年の遣唐使の学問僧として入唐し玄奘に師事して六六一年に帰国後、元興寺(現在の飛鳥寺)に住し、南都六宗の一つ法相宗を開いた僧であり、泰澄も行基も密教とは無縁であったと思われる。
 修験道と密教が強く結びつくのは本格的な密教を招来した空海(七七四〜八三五年)以降である。空海は十八歳で大学に入り、十九歳で退学して仏門に入り大安寺を訪ねて勤操(ごんぞう、七五四〜八二七年)を師と仰いだ。
 空海は勤操から道慈が招来した密教の「虚空蔵菩薩求聞持法」を授かり、大安寺を辞して故郷の四国に帰り山林修行に明け暮れた。
 そして密教の奥義を極めんと、三〇歳で得度し官僧となって延暦二十三年(八〇四年)の遣唐使の留学僧(るがくそう、長期留学でおよそ二十年)として入唐した。この時の遣唐使に最澄(七六七〜八二二年)も還学生(げんがくしょう、短期留学生)として加わっていた。
 最澄は通訳として同行した義真と共に天台山に向かったが、空海は特使と共に長安に向かった。
 そして、空海は長安の青竜寺(しょうりゅうじ)で真言正統の第七祖、恵果(けいか)に就いて本格的な真言密教を学び灌頂(かんじょう、受戒の時、頭頂に香水を注ぎ仏の位に就く儀式)を受け、真言密教の大法を授けられて大同元年(八〇六年)に帰朝した。
 山岳修験に大きな変化をもたらしたのは空海が招来した密教であった。空海はさまざまな法具と密教経典の大部を持ち帰り真言密教を確立し、持ち帰った密教が正式な密教でこれ以外の密教は密教のカケラ即ち雑蜜であると断じた。
 そして、それまでの奈良仏教が平野に寺院を建立したのとは異なり天台宗の最澄が開いた比叡山に倣い、人里離れた山深い高野山に道場を開き、山中を修行の場とした。
 真言宗も天台宗も共に山岳修行を奨励し空海は役小角を称え、真言密教の理源大師聖宝(しょうぼう、八三二〜九〇九年、醍醐三宝院を開基)や天台の智証大師円珍(八一四〜八九一年)、も役行者の足跡を慕い、大峯・葛城・熊野三山を跋渉(ばっしょう)し山岳修行を実践した。
 山林修行によって験力を得んとする修験道と「即身成仏」を提唱する密教が結びついたのは密教の様々な法具と神秘的な儀式、それと共に神は仏の化身であるとする本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)によってしだいに密教の教理を取り入れ、密教に感化され、いつしか同化していった。(本地垂迹説とは神は仏の化身であるとする神仏習合の考え方で、仏教を全国に広めようと国分寺を建てた聖武天皇の時代に仏教を広めるためには旧来の神と仏の融合が必要となって考えだされた発想である。奈良時代に始まり平安中期頃から一般に広まったとされている。神は仏の化身であるとする権現の呼称も平安中期頃からと思える。)
 一説には役小角の滅後すたれていた修験道を聖宝が密教の教理で復興したとも伝えられ、聖宝を修験道中興の祖としている。
 役小角が修験道の本尊とした金剛蔵王権現を密教の教理で釈迦如来の化身と位置づけたのも聖宝かも知れない。(蔵王堂の金剛蔵王権現は聖宝が安置したと伝えられている。)
 この様にして山岳修験道は密教に同化し、密教も大峯を山岳修行の場とした。密教と同化した大峯の修験道は大峯山脈全体を密教の教理に基づく曼荼羅と観たて、熊野から吉野までの峰々、巨岩、滝、川を「胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅」「金剛界(こんごうかい)曼荼羅」に描かれている諸尊の顕われと観じ、山中に修験の聖地を設けた。(曼荼羅とは本尊の大日如来(毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)、東大寺の大仏は毘盧遮那仏)を中心に据え、円を描くように象徴的な諸尊を配して経の説く真理(世界観)を仏に仮託して描いた仏画である。通常、密教の曼荼羅とは「初金剛頂経」に基づいて描かれた「金剛界曼荼羅」と「大日経」に基づき描かれた「大悲胎蔵生曼荼羅」を指す。)
 聖地は「靡(なびき)」と称し、大峯山脈全体に七十五の「靡」が設けられている。仏経ヶ岳、仏生ヶ岳、孔雀岳、釈迦ヶ岳、玉置山、等々の峰々や二蔵の宿、愛染の宿、小笹の宿、深仙の宿、等々の宿跡が「靡」である。
 修験者は熊野から吉野まで又は吉野から熊野までの二大聖地を結ぶ約百二十キロの大峯山脈の稜線を走破する過酷な修行を「奥駈け」と称している。
 「奥駈け」には熊野から吉野に向う「順峯」と吉野から熊野に向う「逆峯」が有る。本山修験宗聖護院並びに金峯山修験本宗金峯山寺を本寺とする天台宗系の「奥駈け」修験を「順峯」と称し、真言宗醍醐派醍醐三宝院を本寺とする真言宗系の修験を「逆峯」と言い習わしている。
 修験者は熊野川(又は吉野川)で禊をして不動明王のお姿を擬していると言われる行者の法衣に身を包んで峯入りし、自らが仏と一体になって曼荼羅の中にいると観じるのである。
 そして、密教の本尊、大日如来の化身である不動明王を奉じ、靡で諸尊を観じて「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陳(じん)・烈(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)」と九字を唱えながら、手は刀印(とういん)を結んで九字を切り不動明王の真言を唱えるのである。
 この様に修験者は九字を切る事によって邪気を祓い、心で仏を観じながら峰々を巡り不動明王と一体となる修行を重ねて験力を修めるのである。
 葛城山や大峯山で修行を重ねて異験力を修め、さまざまな奇跡を成したと伝えられている修験道の開祖、役小角を空海が称え聖宝、円珍が崇めていつしか役小角は山岳修験の始祖となった。
 そして、役小角を不動明王の生まれ変わりと見たのであろうか、不動明王のお側に常に侍している矜羯羅(こんから)童子、制咤迦(せいたか)童子と言う二人の童子に擬して、役小角のお側には前鬼、後鬼と言われる二人の鬼が侍している。この二鬼は元、生駒山に住み人を殺していたのを役小角が調伏し、前鬼、後鬼と名を与え家来にしたと伝えられている。(洞川の里は後鬼の子孫の里とも伝えられている)
 江戸時代、山岳修験の講社の発展と共に役小角のイメージは大きく脹(ふく)らみ修験道の理想像として、出羽三山、蔵王、日光、榛名山、伊豆、箱根、富士、葛城、大峯、吉野、熊野、箕面、伯耆大山、石鎚、英彦、等々全国の山岳修験の地に足跡を残したと伝えられるほどになった。
 寛政十一年(一七七九年)、伝説上の人物、役小角は優婆塞であったが天皇をも動かし、一千百年の御遠忌(百年ごとに行なわれる大規模な法要の事)に先立ちこうかく光格天皇より「神変(じんぺん)大菩薩」の諡号(しごう)を賜った。
 昨年の平成十二年(二〇〇〇年)六月七日を役小角の没後千三百年にあたる日として修験三本山において千三百年御遠忌が執り行われた。
 我々が訪れた時も洞川温泉の道筋に「神変大菩薩千三百年御遠忌」と染め抜かれた幡があちこちにはためいていた。
 修験道が危機を迎えたのは明治維新であった。明治新政府は慶応四年(一八六八年)三月、神仏分離令を発布し厳しく神仏の分離を命じた。
 この法令により神仏混淆の典型的な宗教であった修験道は神か仏かの選択を余儀なくされ危機に陥った。
 熊野三所権現を祀る熊野三山と玉置山は仏教色を一掃して熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、玉置神社となり、熊野修験に所属する修験者は還俗したり神職に転じた。
 吉野、大峯修験は仏教を選択したが追い討ちを掛けるように明治新政府は病気平癒等の加持祈祷を行う修験道を異端で野卑(やひ)な宗教と見たのか明治五年(一八七三年)九月、修験道廃止令を発布した。
 この法令によって修験寺院は天台宗の聖護院か、真言宗の醍醐三宝院のいずれかに帰属し、修験者は還俗するか僧侶になる事を強いた。
 そして天台、真言の両派は帰属した修験寺院を格下に位置づけ、修験者に修験の装束、修験的儀礼を禁じ講社等の組織的な活動も禁じた。
 こうして修験道は法律によって廃止され、所属した本山からも修験的な活動を禁止され修験道は衰退の危機を迎えた。
 明治四年(一八七二年)、寺領上知令(じょうち、上知とは政府に上納する事)が発布され修験寺院が帰属した本山も財政的に苦しくなり多数を占める修験寺院に頼らざるを得ない情況となった。こうして教団運営上の必要から山岳修行の一形態として修験が復活した。
 そして明治中期以降、民間の山岳崇拝が盛んとなり修験道も見直されて講社も復活し息を吹き返した。
 明治十九年(一八八六年)には廃寺となっていた金峯山寺を天台宗の仏寺として復興し、強制的に神社に改められていた蔵王堂も金峯山寺の本堂に復した。
昭和期に入ってから登山が一般に広まり、それにつれて霊山登拝も盛んとなった。各寺院も先達に率いられて峯入りする講社の掌握を積極化させ大峯講が組織化された。
 そして修験道に画期的な変革をもたらしたのは第二次世界大戦の終結によって昭和二十年(一九四五年)十二月に施行された宗教法人令であった。
 修験道はこの法令によって明治五年九月の修験道廃止令からおよそ七十年の法難を耐えて甦り宗派として独立が可能となった。
 平安以来、他の宗派に寄生して生き延びてきた修験道が名実共に独立の宗教団体として認められる画期的な法令であった。
 しかし、修験道は天台、真言両宗のしがらみから抜け出せず、いずれの修験寺院も本山の意向に沿って付き従い結局、修験三本山に分立した。
 天台宗寺門派(園城寺)に属していた修験寺院は「本山修験宗」を名乗り総本山を聖護院とし、山門派(延暦寺)の修験寺院は「金峯山修験本宗」と称して総本山を金峯山寺とした。真言宗に帰属していた修験寺院は醍醐派総本山醍醐三宝院を本山として独立した。

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