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  龍泉寺宿坊

 
 

 山頂の景色を堪能して本堂に戻り、再び妙覚門をくぐり龍泉寺宿坊より一際立派な桜本坊、竹林院と山上にある宿坊の間を縫って龍泉寺宿坊に帰り着いた。(大峯山には大峯山寺の輪番を勤める五ヶ寺が修験者の為に宿坊を営んでいる。)
 この日は泊まり客が少なく我々四人と隣りの六畳間に泊まっている年の頃三十前と思える単独行の若者だけであった。
 話しを聞くと若者は吉野から大峯に入り、足に自信が有るのか明日は早朝の五時に出発し、山上ヶ岳から大普賢岳〜行者還岳〜弥山〜八剣山(仏経ヶ岳)〜仏生ヶ岳〜釈迦ヶ岳を縦走し一日で前鬼に下るとの事であった。
 若かりし頃、若者と同じコースを縦走した時は弥山で一泊した。弥山の小屋で一泊するのが普通であるが前鬼まで一日で縦走すると聞かされ健脚に驚かされた。
 宿坊の主人から風呂が沸いたとの声が掛った。山上の宿坊にも関わらず昔から風呂が有り、ひと風呂浴びてから夕食となった。
 宿坊の主人の話では三十数年前と変わった所は二年前に風呂を改築した程度で何も変わっていないとの事。以前の風呂は五右衛門風呂であったような気がすると問うとその通りとの返事に昔を思い出した。
 あの時は確かI氏の友人の英国人、マイクが女人禁制を珍しがって同行し、五右衛門風呂の入り方を説明した記憶がある。(五右衛門風呂とは大盗賊の石川五右衛門が、京都の三条河原で釜ゆでの刑に処せられたという伝説にちなんで名付けられた大きな鉄釜の風呂。入浴の際は浮いている底板を踏み、板を沈めて入る。)
 水が不足する山上で風呂の接待は有り難い限りであるが、貴重な水ゆえ数日前から水を替えていないのではと思えるほどお湯はお世辞にも綺麗とは言えなかった。それでも木の葉が浮ぶ野趣に富んだ風呂に入った。
 午後四時半、夕食の支度が整ったとの声に促され土間のテーブルに付くと、昔と変わらぬ精進料理であった。
 食事は今時の宿ではまずお目にかかれない極めて質素なもので、御飯と味噌汁それに高野豆腐と椎茸の煮しめに切昆布と煮豆だけであった。貧しい食事では有るがビールを注文し皆で登頂の無事を祝して乾杯した。
 食事の折り、宿坊の主人が大峯も国際化したと語り始めた。「今年、ここ龍泉寺の宿坊に寝起きしていたドイツ人の青年が大峯山と吉野の間、約三十キロを百日間欠かさず歩き続ける荒行に挑み、見事に大峯百日回峰行を満行した事が新聞に報じられた。」と語り、新聞の切り抜きを見せられた。
 大峯百日回峰行とは前半の五十日は大峯山寺と吉野金峯山寺を片道歩き、後半の五十日は一日で大峯山寺と吉野金峯山寺を往復する過酷な行である。
 大峯にも叡山千日回峰行と同じような大峯千日回峰行がある。吉野金峯山寺の蔵王堂から山上ヶ岳の大峯山寺までを一日で往復(約四十八キロ)し、千日間歩く荒行である。
 毎年、大峯の山開きがある五月初旬から閉山する九月初旬までの約四ヶ月間、一日も休まず歩き続ける行である。一九九九年九月、金峯山寺持明院の塩沼亮潤住職が九年がかりで満行した。
 宿坊の主人の話では、「そのドイツ人の青年が宿坊に帰り着くのは毎日、五分と違わなかった。帰り着くと仏間の前に坐り、どこで覚えたのか一心に経をあげていた。修行に打ち込む態度は真剣で日本人顔負けの信仰心を持った青年であった。」
 「今年も二人の外国人が希望したが百日回峰行に挑むのは一年に一人と決めておりドイツ人の青年となったが、近年、特に百日回峰行を希望する外国人が後を絶たず、来年も外国人が挑む事に為りそうだ」としみじみと語っていた。
 そして、宿坊の主人は「大峯は今、世界文化遺産に登録申請している。富士山も申請したがゴミの山と化し調査を受けたが却下された。大峯は富士山のてつ轍を踏まず世界文化遺産に相応しい山として清掃に力を注いでいる。洞川の地元民や参拝の有志、大峯講の人々が「ドンゴロス」(大きな麻袋)を手に清掃登山を実施している。又、閉山後は高野山大学の学生が毎年、数十人テント持参で山に入りゴミ拾いを続けてくれている。毎回拾い集めたゴミは山上の宿坊に集められ、その数、数十袋を超える。そのゴミを山上の宿坊が協力して山から下ろすのに一苦労である。ゴミの持ち帰りを呼び掛けているが心無い登山者によって所構わずゴミが投げ捨てられ山が汚されてゆく、実に嘆かわしい限りである。」と登山者のマナーを嘆いていた。我々も同感で確かに洞辻茶屋にも多数の空き缶が転がっていた。
  「今年も世界文化遺産に登録申請した関係か外国の登山客が増え先日も日本語がまったく解からない外国人が訪れ身振り手振りで箸の持ち方、風呂の入り方、トイレの使い方を教えた。調査に訪れる外国人も多く、昔と違い大峯も国際化したものだと感じ入る。」と楽しそうに話していた。今日は客も少なく宿坊の主人の話しは尽きないようであった。
 世界文化遺産に指定されると女人禁制も危機を迎えるのではないだろうか、心配がけう稀有に終わる事を祈りたい。指定されても女人禁制の「掟」は是非守り続けて頂きたいと切望して止まない。
 まだ床に就くのは早すぎ、部屋で談笑していたが早朝に出立する隣りの客を気遣い食堂に席を移した。下界なら久し振りの友との語らいに酒を酌み交わし、時の過ぎ行くのも忘れるほど、共に杯を傾けて飲み明かすのが常であるが今宵は酒色を絶って峯入りした山中の神聖な宿坊ゆえ、酒を遠慮して茶を飲みながら語り明かした。
 宿坊の主人に消灯の時間を問うと、洞川着の最終バスで登ってくる客がおれば午後十一時過ぎに到着するのでそれまで灯かりをつけて待っているとの事。夏の間は毎日数時間しか睡眠が取れないとこぼしていた。日の出の時刻は五時半と聞き、眠りに就いたのは九時を過ぎた頃であった。
 翌朝、五時半の日の出を拝するべく早朝の五時に起床した。外は夜明け前の冷涼とした空気に包まれ肌寒かった。昨夜は濃霧に包まれ外にある洗面場に出ると衣服がしっとりと濡れたのがうその様に空は澄み渡り快晴であった。
 崖の上にある宿坊は日の出を拝するには絶好の位置にあった。東の空が一直線に赤みを帯びると黒々として判然としなかった景色が墨絵の様に浮びあがった。真っ白な雲海が眼下に広がり、山の稜線は雲海の中に浮ぶ島の様であった。
 少しずつ空に赤みが増し、何時の間にか笠雲も消え去り、地平線が茜色に輝きを増してきた。眼下に広がる雲海はその光を浴びて黄金に輝き、それまで黒々としていた山塊も光を浴び生まれ変わった様に稜線を輝かせた。
 空が一段と明るさを増すと雲海の中から透明に輝く黄金の太陽が姿を現した。それは黎明と呼ぶに相応しい荘厳な眺めであった。宿坊の主人も「今日の日の出は最高や」と声を弾ませ見とれていた。
 若かりし頃、熊野から十番の靡である熊野奥之宮玉置神社が鎮座する玉置山(一〇七六メートル)に登り初日の出を拝した時の事も忘れられない。真っ白の雲海の彼方に熊野灘が有り遮るものも無い雲海の中から昇る旭日も素晴らしかった。
 熊野本宮の奥宮といわれる玉置神社は神武天皇東遷の際、やたがらす八咫烏に先導された天皇が兵を休め神宝を鎮めた地に、熊野本宮と同じく崇神天皇が創紀したと伝えられる由緒ある古社である。
 境内には樹齢三千年を越える神代杉(じんだいすぎ)を始め常立杉(とこたちすぎ)、磐余杉(ゆわれすぎ)、夫婦杉など、杉の巨樹がそそりたっている。まさに自然のエネルギーを得て験力を修める修験者にとって格好の場所であり、天台宗の智証大師円珍がこの地で修行した事から修験道の聖地となった。
 玉置神社には熊野、大峯修験の靡に相応しく護摩壇が有り、平安時代に鋳造された釣鐘が有り、神を祀る神殿が有る神仏混淆の社で、明治の神仏分離令により神社となった。
 古くは熊野、大峯修験の華やかなりし頃、山中に七坊十五ヵ寺の堂宇を擁する修験道場で有ったと伝えられている。
 あの日は大晦日に玉置神社を訪れた。日暮れと共に千メートルを越える山上の玉置神社は深々と冷え込んでいた。
 夜更けと共に参道と境内には時代劇さながらの篝火(かがりび)が焚かれ、新年の神事を執り行なう神殿が闇夜に浮かび上がった。それは凍てつく寒さを忘れるほど神々しい眺めであった。
 極寒の中、午前零時を期して新年の神事が執り行なわれた。宮司は神職の白装(はくそう)に着替え寒さも意に介さないのか白装の上に薄絹の衣を羽織っただけの軽装で祝詞を奏上していた。厳粛な神事を間近に拝見し身の引き締まる思いがした。
 神事を終え、仮眠の後、山頂に登り熊野灘から昇る神々しい新年の日の出を拝した。あの時も、今回の大峯と同じ様に雲海に覆われた地平線に一筋の光の帯が現われて朝焼けが始まり、ひときわ黄金に輝く雲海の中から旭日が姿を現すと一気に薄闇は剥ぎ取られ日の出と共に青空が広がった。神々しい日の出は一瞬であるが何度見ても見飽きることがない感動のドラマである。
 弥山から前鬼に向う隣人は日の出と共に出立していった。入れ替わる様に二人の参拝者が宿坊に姿を見せた。二人は夜中の十一時か十二時に洞川を発ち暗闇の中を懐中電灯の光を頼りに木梯子を上り、闇の中を「油こぼし」の岩場を鎖に掴まって登って来た事に驚きを感じた。
 話しの様子では既に数回、大峯山に登っているようであった。宿坊の主人も心得たもので早速、朝食の準備に取り掛っていた。
 日の出の感動が覚めやらぬ内に朝食となった。朝食も質素な食事であった。因みに朝食は切昆布と煮豆が海苔と漬物に代わっただけであとは夕食の時と全く同じであった。

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