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参禅

 
 一時の休息の後、参加は自由との事であったが初めての経験でもあり参禅に参加した。先輩の後に従って参禅が行われる護摩堂に向った。
 護摩堂は多数の信者の寄進によって平成五年に建てられた総欅作りの近代的な建物で空調設備も整っていた。
 外はまだ明るかったが護摩堂の堂内は外の光を遮(さえぎ)り薄暗く、堂内を照らす灯かりも光量が絞られ、祭壇のローソクの灯がゆらゆらと揺れていた。
 正面には右手に剣を翳(かざ)し、怒髪(どはつ)を靡かせた不動明王が祀られていた。
 広い板の間には間隔を置いて坐蒲(ざぶ)が互い違いに並べられていた。坐蒲の並べ方を不思議に思いつつ我々は適当な場所に座を占め、坐禅とは如何なるものか興味津々であった。
 しばらくすると法楽の時に説明を受けた若い僧が直堂(じきどう)として警策(きょうさく)を持って現れ、参禅についての心得の説明があった。(直堂とは堂内の参禅者を監督し、警策を行ずる者)
 「坐蒲の並べ方は千鳥と呼び、警策を持って自由に動き回れる様に互い違いに並べてあります。坐り方は両足を組んだ結跏趺坐(けっかふざ)が正式であるが組めない方は半跏趺坐(はんかふざ)でお坐り下さい。半跏趺坐の坐り方は左の足を右の股の上に深くのせるのが正式ですが右足でも左足でも乗せやすい足を組んで頂いて結構です。背筋は天井から吊り下げられた様に真っ直ぐ伸ばし、顎(あご)を引き、視線は一メートルほど先の畳に眼を遣り、半眼に開いて下さい。手は左の手のひらの上に右手の手のひらを重ね両手の親指の先が軽く触れる様に組み、手の位置は臍(へそ)の下に置いて下さい。呼吸は早く吸って出来るだけゆっくりと全身の空気を吐き出す様な感じで息を吐いて下さい。時間を掛けてゆっくりとした呼吸をすれば坐禅の開始から終了まで呼吸数はおよそ百回程度となります。参禅中は何も考えないで頭を空っぽにして下さい。しかし、無念無想は無理なので呼吸の数を一心に数えて下さい。正式な参禅では睡魔に襲われたり、姿勢が悪かったりすると警策で思い切り打ち据えますが、今回は私の方からは打ちません、肩や背の筋肉をほぐす効用が有りますのでご希望の方は右手を挙げて下さい。拍子木を二度鳴らすと参禅を開始する合図で、一度鳴らすと終了の合図です。通常はこれを三度繰り返しますが今回は一回で止めます。」
 説明が終わると直堂は堂内を一巡して正しい坐にあるか、警策を立てて一人づつ点検し、拍子木を二度打ち鳴らした。
 坐禅は初めての経験で云われた通り、ただひたすら呼吸を数えた。ゆっくりと時が過ぎ、時々、警策の音が堂内に響き亘った。
 終わり頃に警策を経験して見ようと思いつつ時が流れ、そろそろ手を挙げようかと思っている内に拍子木が一度鳴り坐禅は終了してしまった。
 開始から終了まで、およそ四十分であったが以外に短く感じた。参禅を終えると若い僧は「出来れば毎日、三分間坐禅を続けて下さい、そうすれば危急の時の胆力が養われます」と告げられた。
 参禅の「行」を経験し仮眠を取る別棟の広間に戻り時計を見るとまだ午後の七時であった。二時起床とは云えとても眠れる時間ではなかった。
 そう言えば若い僧が参禅の後、眠るのも修行ですよと云った言葉を思い出した。ほとんどの方々が床に就いたが、我々は眠りに就けずテーブルの有る一室で談笑していた。
 そこに、初参加の我々を気遣っての事か、年配のお方が二人顔を出し、我々に話し掛けて来た。お二人の話しから白い法衣の僧が千日回峰行の荒行を満行した大阿闍梨である事をこの時はじめて知った。
 この一文を書くに当り調べて見ると大阿闍梨の名は叡南俊照師(えなみしゅんしょう、旧姓内海俊照)であった。師は昭和十八年一月三十一日、香川県坂出市に生まれ、十五歳の時、比叡山に上り、叡南覚照(えなみかくしょう)師(昭和三十五年、戦後四人目の千日回峰行を満行した大阿闍梨)のもとで出家得度した。
 昭和四十一年三月に初百日の回峰行に出峰、七月満行。四十九年三月から千日回峰行に挑み、五十二年十月、七百日の回峰行を満行して「堂入り」、昭和五十四年に満行した。
 その後、叡南覚照師の養子となり叡南俊照と名を改めた。(叡南覚照師も戦後(昭和二十一年)、初めて千日回峰行を満行した大阿闍梨、叡南祖賢(えなみそけん)師の養子である)
 お二人の話しでは、師は十数年前に山を下りてここ律院に入り、叡山巡拝の指導を始められた。毎年四月から十月まで、当初は月に二度催していたが月一度となり、今年で十二年目、今回が八十一回目に当るとの事。
 八十回を皆勤した人が四人いらっしゃる。この方も皆勤ですと紹介を受けたお方はとてもその様には見えない、もの静かな初老の紳士であった。
 話しを伺っていると初老のお方がもう一人、席に加わった。「このお方も八十回を皆勤した四人の内のお一人で大阿闍梨様を心底尊敬している信者さんです」と紹介を受けた。
 そのお方は四国に在住し右の眼が少しご不自由なご様子のお方であった。我々に訥々(とつとつ)と説明して頂いたお方も既に五十数回、参加しているとの由であった。
 古参の方々のお話しでは、師が山上の無動寺谷に在住していた頃は回峰行の正式なルートである無動寺回峰を指導していたが十二年前に山を下り、師は新に女性も参加できる平易な約十五キロの巡拝ルートを定め、叡山ミニ回峰行として一般の人々も受け入れた。
 古参の方々は無動寺回峰行(約三十キロ)を概ね十数回、経験しているとの由、お話に拠ると「その頃は午前一時起床、二時出発、今より一時間早い出発で今の倍の距離を歩いた。無動寺から東塔、西塔を巡拝し玉体杉で一休みして横川から日吉大社に下った。大阿闍梨さんに付いて行くには登りも小走りで、下りは駆け足であった。日吉大社に参詣し無動寺坂を登る頃はもうへとへとであった。時には足が動かず石段を這って登った事もあった。」と当時を懐かしむように話され、距離も半分に短縮され貴方方には物足りない巡拝であろうとの事であった。話を伺うと午前二時出発、八時に帰着。登り下りの起伏が激しい三十キロの山中を六時間で歩き通す。最後の無動寺坂の登りがさぞきつかった事であろうと想像出来る。
 そして、叡山の修行についてもお話を伺った。叡山には三大地獄と称される厳しい修行がある。千日回峰行の回峰地獄、最澄の祖廟(そびょう)を来る日も来る日も掃き清める掃除地獄、読経三昧の看経(かんきん)地獄の事を話された。
 訥々とした話の中で、高野山には大名の墓を始め有名人の墓が林立しているが叡山には高野山と異なり一般人の墓は一基も無い、叡山に有る墓は天台宗の高僧の墓のみである。話しは尽きないようで有ったが明朝の事も有り、八時頃、席を外された。
 叡山の三大地獄と称される修行を調べて見ると、最澄は「山家学生式」(さんげがくしょうしき、叡山で天台教学を学ぶ者に課せられた生活規則)で十二年に亘る籠山(ろうざん)の「行」を定めた。
 最澄が十二年と定めたのは「最下鈍(さいかどん)の者も十二年を経れば必ず一験を得る」と云う最澄の信念から十二年と定められた。その修行の一つが十二年籠山の千日回峰行と云われる回峰地獄。二つ目は「侍真(じしん)制度」による十二年籠山行である。
 「侍真制度」による「行」は最澄の祖廟、浄土院に籠り、外界と断絶して十二年間、祖廟で最澄が今も生きているが如く仕え、一日に二度「献膳(けんぜん)」し五体投地(ごたいとうち)の礼拝を繰り返し読経を重ねる。食事は「献膳」したものを拝受して頂く一日二食である。
 そして、この「行」が掃除地獄と称される由縁は最澄の眠る霊域には塵一つ、木の葉一枚落ちていてはいけない。最澄の眠る浄土院は長い石段を下った樹海の底に有り、風に吹かれて木の葉が無限に舞い落ちる。修行僧は舞い落ちる木の葉を何度も何度も一枚残らず掃き清めなければならない。
 冬の厳寒期は零下十数度の寒さの中で掃除に明け暮れる。それ故この「行」の事を掃除地獄と称している。三つ目はひたすら読経三昧に明け暮れる看経地獄があると記されていた。 
 午後八時を過ぎても眠気は催さなかった。話しを伺ったお二人の話しでは眠くなる様に今朝は四時に起床した。古参の者は皆その様にして夕方には眠くなる様に準備して参加しているとの由。
 我々は修行の心得を持たず山登りのつもりで興味本位に参加し昨夜も通常と変わらず睡眠をとっていたのでとても午後の七時、八時では眠気を催さなかった。
若い僧から「眠るのも修行ですよ」との言葉を思い出し、九時に床に就いたが眠れるはずも無く、起床の二時までうとうととして

 

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